hetmek:voqn:虹裏 img [返信] タモリと赤塚先生の馴初め
サックス奏者の中村誠一が部屋にあったゴミ箱を頭にかぶり、メンバーで歌舞伎の踊りや狂言など虚無僧ごっこをして遊んでいた。タモリは渡辺貞夫のマネージャーと学生時代の友人同士であったために同じホテルで飲んでいたところ、廊下まで響くその騒ぎを聞きつけ、鍵の開いていた部屋へと乱入し、ゴミ箱を取り上げて自ら歌舞伎踊り始めた。中村はその非礼をインチキ朝鮮語でなじったところ、タモリがそれより上手なインチキ中国語で返答したために双方が意気投合したという。後日、「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下らジャズメンが博多のジャズバーに片っ端から問い合わせた結果、とあるジャズバーで発見された。その後、新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」の常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)で結成された「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。開かれた独演会では「四ヶ国語麻雀」や、「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、筒井康隆、唐十郎、山下洋輔ら臨席した全員を感動させる。また、タモリの芸は奥成達から「密室芸」と命名された。
臨席したうちの1人である漫画家の赤塚不二夫は、「この男を博多に帰してはいけない」と引き留め、自らの家に居候させた。タモリ - Wikipedia
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